パピヨンの部屋 - Welcome to Papillon's room
「ロシア文学銀の時代・マンデリシュタームを読む」
 
はじめに 
 
きょうは、オシップ・マンデリシュタームをみなさまと共に読むことができるということでワクワクしてまいりました。といいますのは、これまではこの詩人の詩を鑑賞するのはわたしにとって「詩人と直接に対話すること」であったからです。きょうはみなさまの感じ方、受け止め方もお聴きすることができると思いますので、新たな見方ができると予感しています。どうぞよろしくお付き合い願います。 
 
さて、マンデリシュタームという詩人の名前をお聞きになったことがあるでしょうか。余り日本では知られておりません。ロシア文学といえばドストエフスキーやトルストイ、ツルゲーネフといった文豪、そして詩といえばネクラーソフなどの詩人が読まれています。つまりロシア革命前後に活躍したいわゆる「金の時代」の文学に属する作家です。 そしてきょうわたしがお話するのは「銀の時代」の文学についてです。よく知られている作家・詩人はパステルナーク、マリーナ・ツヴェタエーヴァ、マファトーヴァ、マンデリシュタームでしょうか。
 
余談ですが、わたしがロシア文学に心酔したのは中学生のころから。だから随分長くなります。家ではいつもツルゲーネフのことなど話が尽きませんでした。ロシア語を勉強したのも詩が読みたいばかりでした。このマンデリシュタームの名を初めて知ったのは、マリーナ・ツヴェタエーヴァについての本の中でした。およそ二十年も前のことです。そのなかで彼女はパステルナークを愛したことリルケを愛したこと、マンデリシュタームを愛したことを知りました。マンデリシュタームって誰?というところからその波乱の生涯とすばらしい詩作品を知るところとなりました。
 
マンデリシュタームの邦訳そのときは、残念なことにその頃はまだ日本では紹介されていませんでした。そのうちに詩集の翻訳が出たときは嬉しかったです。早川真理さんが「石」という第一詩集および「アポロン」に掲載したエッセイを発表されました。第二詩集「トリスチア」は近年発表されました。また、入門書では、中平耀氏が「マンデリシュターム読本」鈴木正美氏が「言葉の建築術」という本を著されました。そして彼の妻ナージェジダの回想録「流刑の詩人・マンデリシュターム」(新潮社)があります。この中には初期の詩と流刑地で書いた詩が所収されています。
 
こうして銀の時代の詩人が日本に浸透していくのに没後七十五年かかっているのに気がつきました。 わたしはロシアの友人に頼んでロシア語の「マンデリシュターム全集」を送ってもらいました。また「オーディオ・クニーガ」(ロシア人俳優による朗読本)も京都丸善を通じて輸入してもらいました。ぜひロシア語で朗読を聴きたいと思ったからです。きょうは詩の朗読を鑑賞しながら進めていきたいと思います。詩人の生涯なにはともあれ、まず詩を読みましょう。
 
トリスチア(悲しみの歌)から。
 
23(重さと優しさは姉と妹)
 
重さと優しさは姉と妹、あなたたちの徴しは同じもの。
働き蜂と雀蜂は重い薔薇の花を吸う。
人は死ぬ。暖められた砂は冷えてゆき、
そして昨日の太陽は黒い担架で運ばれる。
 
ああ、重い蜂房と優しい網よ、
岩を持ちあげるほうがたやすい、貴女の名を繰り返すよりも!
わたしにこの世で残されているひとつの仕事。
それはいかにして時の重荷を免れるかという黄金の仕事。
 
さながら暗い水を飲むように、わたしは濁った大気を飲む。
時が鋤ですき返されると、薔薇は大地としてあった。
ゆるやかな渦巻のなかの重くて、優しい薔薇の花々よ、
薔薇の重さと優しさを貴女は二重の花輪に編んだのだ!
 
 
いかがでしょう。詩人の生涯も、背景も知らなかったとしても、悲しむ詩人の姿が浮かんできます。さて、どんな一生だったのでしょうか。彼の紹介は、広辞苑ではこう書かれています。「ソ連の詩人。自我と文化を主題とした知的で堅固な詩の世界を構築。スターリンを諷刺する詩を作って逮捕され、獄死。詩集「石」「トリスチア」など(一八九一~一九三八)四十七歳没」(ロシア革命は一九十七年三月ロマノフ王朝の専制政治が倒壊し、ソビエトの支持のもとに臨時政府が成立、次いで十一月ボリシェビキによりソビエト政権が樹立され、世界最初の社会主義革命が宣言された。)
 
マンデリシュタームが二十二歳のとき第一詩集「石」を自費出版した。革命が起こったのは二十六歳のとき。ロマノフ王制末期、革命前のとげとげしい時代に彼は成長しました。三十歳(一九二二年)で結婚したばかりのナジェージダとモスクワに住み、そして同年、第二詩集「トリスチアTristia」がベルリンで出版されました。それからエッセイ、批評、散文、回想録を書いたことが分かっています。生計を立てるため、新聞の通信員となり、翻訳をして十九冊を出版したのです。
 
一九三三年に問題となった『スターリン・エピグラム』を書き、そのなかで「私たちは足下に大地を感じずに生きている」といい、独裁体制を集団化とその結果としての大飢饉を「16の死刑宣告」と呼びました。そして一九三四年五月十三日に逮捕され、三年の流刑判決が下されました。同僚の詩人アンナ・アフマートヴァの証言によると、直接の訴因は一九三一年に書かれた『狼』という詩が反政府活動と見なされたことにあったということです。以下はウィキペディアに記されている流刑の事実です。
 
「流刑地はヴォルガ川支流のカマ川上流にある小さな町のチェルドゥイニでしたが、妻が党中央委員会に打電しスターリン自身が事件の再検を命じ、マンデリシュタムが選んだ場所ヴォローネジに移ることができました。後の作家たちの運命にくらべると、このスターリンの寛大な措置は歴史家にとって謎のままとどまるでしょう。ヴォローネジからモスクワの自宅へ帰還したのが一九三七年五月で、その翌年五月に再逮捕されました。四ヶ月後に重労働五年を宣告され、流刑の中継地ウラジオストク近郊のフタラヤ・レチカ一時収容所(中継ラーゲリ)でした。妻へ衣服を送るよう頼んだ手紙を託すことができましたが、直後に亡くなったといわれています。公式に病名は特定されておらず、ロシアの歴史教科書では単に「衰弱死」とされている。」
 
これが彼の生涯のすべてです。もちろん詩の原稿は先に処分されていました。友人がポケットにねじこんで救った詩は語り続けていくわけです。わたしたちは詩の中から、彼の声を聴いていかなければならないし、彼のイメージを読み解き、辛さや悲しみを追体験していかねばならないのです。
 
ここでマンデリシュタームの詩をいくつか読みましょう。最初は青年時代の詩、そして流刑地での詩と続きます。回想録には「狼」という詩を証拠品として押収しようと秘密警察がのりこむ場面。すべての原稿は没収されるため、友人がポケットにねじりこんでいくばくかの詩を救いだした話が淡々と語られている。(アクメイズムは、神秘的な表現を排し、現実を重視して分かりやすい言語で表現した詩であり、知識階級から庶民まで広く支持された。)トーマス・ヴェンクローバ氏はみずからも亡命詩人ですが、2011年月に来日の際、インタビューできました。このマンデリシュタームについては研究・翻訳をされておりますのでわたしの様々な疑問に応えていただけることと思い、来日前より質問を用意したのでした。
 
○なぜマンデリシュタームは亡命しなかったのか。ナジェージダの自伝によると流刑されるオシップに友人に頼み餞別を集めたことを知ったオシップは絶句し、これだけのお金があれば亡命ができたと思ったふしがあるのですが、かれの希望が強ければ叶ったのではないでしょうか。それとも国の中で、詩を書き続けたいと願ったのでしょうか。
 
「彼は出国したがっていた、が許可されなかった」と答えられました。
 
○マンデリシュタームはナジェージダの冷静かつ深い愛の支えなしに詩を書けなかったのではないでしょうか。もちろん女流詩人との火花の散るような恋はしたかもしれません、しかしそれがどれほどのものでしょう。生きる支えにはならなかったとわたしは思っています。
 
「アフマトーヴァはとてもよい友人だった。彼女の晩年に会ったことがある。」 
 
ここでロシア人俳優による朗読で、いくつか詩を聴きましょう。命をかけて詩を書くということ。その重さを感じるのはわたしだけではないでしょう。命を落としたこの「ことば」において、彼は「オシップ・マンデリシュタームの詩」という永遠のいのちを得たのです。そして第二次大戦後のソビエト連邦時代の文学については、わたしは「ソビエト連邦の文学」という冊子を定期的に読んでおりました。みな同じ顔をした人々、同じことを思う人々の作品で、感動とは縁遠いものでした。なぜ、思想が統一されると文学的に魅力がなくなるのか、は当時のわたしの疑問でもありました。そして起きるべくして起きたペレストロイカ、革命でもなく内から自然に崩れた統制社会に亡命もできず、声を殺して生きてきた文学者が再び声を取り戻しました。そしてわれわれはいま自由に詩を書くことができるロシア詩人がいます。それでもなお完全な自由を求めて他国で生活する詩人があります。
 
かれらの作品を読むことができる、そのよろこびを今更に意義深く思いたいものです。まだまだロシアアヴァンギャルト、東欧アヴァンギャルトのよい詩がたくさんありますので、ご紹介できる機会があればさせていただきたいと思っています。
 
きょうはご清聴ありがとうございました。
 
「石」より
 
こっそり ひめやかに
樹から落ちた 実のひびき。
ひっそり 森深き
絶えまない 調べの中に。             
 
一九〇八年(二十七歳)
 
きららに 光る
森のクリスマスの樅。
藪の中 恐ろしい眼はかる
おもちゃの 狼。
 
ああ 我が悲しみは予言
ああ 我が自由は無言
そして病める空に
いつも微笑む 水晶よ                
一九〇八年(二十七歳)
 
子供の本だけ 読みましょう。
子供の考えだけ 楽しみましょう。
大きなものは みな遠くへ吹き消して、
底しれぬ悲しみから 立ち上りましょう。
 
ぼくは 人生に死ぬほど疲れた。
もう もらうものは何もない。
でも ぼくの貧しい大地は好きだ。
なぜなら よそは見たことがない。
 
ぼくはゆれていた 
遠くの庭で。粗末な木のブランコにのって。
思い出すのは 夢心地なる霧の空
小暗く 高い樅の梢(うら)。 
                    一九〇八年
 
いい知れぬ 悲しみに
開いた 二つの大きな瞳
花瓶がめざめ
水晶の飛沫あげ。
 
部屋中が 酔い痴れた
倦怠の 甘い薬に
こんなたかの知れた追う国に
こんなに夢がのみこまれていた。
 
少しばかりの赤ワイン
少しばかりの五月の日輪
それから 薄いビスケットをたおる
細い指のしろじろ。 
                      一九〇九年
 
雪の蜂の巣箱はけだるい。
水晶は 窓より明るい。
しどけなく 椅子にかかっている
トルコ玉色のベール。
 
ベールは うっとりしている、
光になぶられて。
夏を生きている、
冬の手を忘れて。
 
氷のダイヤに
とわのマロース(厳冬)が流れている
ここには とんぼがわなないている。つ
かのまの身の 目の青み。
                    一九一〇年
 
鋭い耳が 帆を立てる。
見開いた瞳はうつろ
しじまを流れる
夜半の鳥のコーラスはすずろ。             
 
ぼくは自然のように貧乏で
空のように素朴で、
ぼくの自由ははかない、
夜半の鳥の鳴き声のように。
 
息もたえだえな月を見る
カンバスよりも生気のない空を見る。
なが病める 不思議な世界を
ぼくは抱こう 空虚よ。
 
貧しい光が しめった森に
冷たい足どりで 
種をまく。ぼくは悲しみを 
灰色の鳥のように
そぞろ胸に抱きゆく。
 
この傷ついた鳥をどうしたらいいのかしら
空は黙りこみ 死んでしまった。
霧がすむ鐘楼から
誰かが鐘をとってしまった。
 
唖の みなし子である
空が立っている。
空っぽの 白い塔のように、
霧のしじまに。
 
底しれぬ やさしい朝は
夢かうつつかまどろみは 
癒されず霧の想い 
いんいんと鐘を鳴らす。
                      一九一一年
 
君の姿は 苦しげに たゆたう。
霧の中 手にもふれえずに。
「神様」ぼくはまちがって言う。
ほんとうは それを考えもせずに。
 
神の名は 大きな鳥のように
ぼくの胸から飛び立ったゆくてに 
濃く霧はうずまき背後に 
空の籠うずくまり。   
                   一九一二年
 
彼方に去りゆく 人間たちの首塚
ぼくはそこで小さくなる。
誰にも気づかれずに、だが 可愛らしい本の中に 
子供らの遊びの中に僕は復活する。
お日様は輝いているよというために、
いつか。                  一九三六(三七?)
 
年くらべるな、生きている者はくらべられない。
ある愛らしい驚きをもてぼくは 
平原の平等に同意した。
蒼穹はぼくにとり病気だった。
 
ぼくは 空気のしもべをあてにしていた。
ぼくは待っていた 空気の奉仕と便りを。
そして旅支度をし、たゆとうていた。
始まらぬ旅の弧上を。
 
空がもっと広い所へ 
ぼくはさすらい行こうとする。
すると明るい憂愁(トスカ)がぼくをとりこにする。
まだ若いヴォローネジの丘から
トスカーナの鮮烈な人類の丘に向かいながら。
                  一九三七年
 
まだ、ぼくは死んじゃいない。
まだ ぼくは一人ぼっちじゃない。
女乞食の道づれと平原の偉大さを
霧と 飢餓と 吹雪を楽しんでいるかぎり。
 
美しい貧困と 豪華なる女乞食とちぎりやすらかに 
なごやかに生きるよ ひとり。
幸いなるかな この日この夜
甘き調べの労働は 無罪である。
 
不幸なるかな かの影のごとき
吠え声におびえ 風になびく者。
哀れなるかな 息たえだえに
影に慈悲を乞う者。         
         一九三七年
 
ぼくは小声で口走る
まだその時じゃないからさ
自由気楽な空での遊びは
汗と体験で得られると。
 
煉獄のかりそめの空の下、
ぼくらはしばしば忘れている
幸福の天の御倉は漂泊の 
生涯の我が宿   
                一九三七年
 
オシップは詩を「書く」とはけっしていわなかった。彼は最初「つくり」、それから書きとめるのであった。すでに存在していて、どこからともなく中継されてくる、そしてだんだん言葉の形をとっていく調和のとれた意味的統一体を懸命にとらえ、それを発現していくことに詩作の全過程は集約される。詩作の最終段階は、その出現前に存在している調和のとれた全体の中にはない偶然的な言葉を詩から取除くことである。このような偶然忍びこんできた言葉は、全体があらわれかけてきた時に空白をうずめるため急遽挿入されたものであった。そうした言葉は深くつきささっているため、その除去は困難な作業である。最終段階では、詩と呼ばれている客観的でまったく正確な統一体を求めて懸命に自己に聴き入るということがおこなわれる。「わが言葉をまもりたまえ」という詩の中では「良心的な」(「労働のタール」)という形容詞が最後にあらわれてきた。オシップはここにはアフマートワ(女流詩人)のような正確で簡潔な定語が必要なのだった、「これをやれるのは彼女だけだ」といって嘆いた。彼は彼女の助けを待っているかのようであった。詩作において、私は一回でなく二回の「姿勢を正す深呼吸法」に気づいた。一回は詩行または節に最初の言葉があらわれる時であり、二回目は最後の正確な言葉が偶然入りこんでしまった他所の言葉を追い出す時である。その時、自己に聞き入る過程、つまり内部聴覚障害という病気の下地をつくる過程が止まる。詩はその作者から離れ落ちる感じで、唸りを生じて作者を苦しめることをやめる。それにとりつかれていた者は解放される。あわれな牛はやっと蜂から逃げおおせたわけである。オシップの言葉を借りると、もし詩が離れ落ちなければ、それはつまり、その詩がどこか具合が悪いか、「まだ何かが隠されている」、つまり新しい芽のふく蕾がのこっているわけで、いいかえれば仕事は完了していないということなのである。内部の声がやむと、オシップは誰かに新しい詩を読んできかせたがった。私では不足であった。私はごく間近で彼のあがきを見ていたから、オシップには私も旋律をすっかり聞いていたかのように思えたのである。時どき彼は私が何かを聞きもらしたといって非難することさえあった。  以下省略  
 
以上引用部分(太字)は「流刑の詩人 マンデリシュターム」ナジェージダ・マンデリシュタームより木村浩・川崎隆司訳(新潮社



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