パピヨンの部屋 - Welcome to Papillon's room
深尾須磨子を読む

はじめに 

 いきなり私事で恐縮ですが、わたしが初めて詩心を抱いたというか、「詩はいいものだなあ」と思ったのは小学生のときで、母が暗誦していた深尾須磨子の詩の一フレーズでした。
 「いとせめて セヴィールの筆で 
   切なさの水脈を引いてみるのですが」

 これは呪文のように、今でも覚えています。
意味などまったく分からない少女のころです。年をとった今頃になって初めてこの詩意を汲み、母のこころを重ねてみることができます。 

 このように詩はひとの一生に縦糸となって入り込むほどの魔力があります。どの詩でも、とは云いませんが、それほどの詩や詩人があるものです。 

 さて、女学生雑誌、婦人雑誌全盛であった頃には、文芸作品は彼女たちの憧れであり、誰もが詩を書きたくなるほど人気がありました。そしてそれほど長く他人に暗誦されているのです。 

 きょうお話する深尾須磨子のイメージですが、欧州映画のヒロインのように帽子を被り洋装をさっそうと着こなしています。海外に渡って生活をし、日本を外から見て帰国した後は、まだまだ封建制度から逃れられない日本の婦女子の境遇に心を痛め、また自由恋愛の素晴らしさを謳い、女性ならではの負の部分、夫唱婦随という風潮、男女不平等な旧民法、そして性科学によるバースコントロール、女性の哀しみを詠嘆するのではなく、その根源をエッセイや詩に表現し、まず自らが実践して生きようとしましたのです。欧州で起きた女性解放運動を肌で感じて帰国した須磨子は、それは詩のなかに、エッセイの中に記されています。時は、第二次世界大戦という未曾有の経験を国内外で味わったのです。イタリアではムッソリーニの姿を一目みようと人ごみを掻き分けたり、彼を偉大だと思ったりしたのです。須磨子は渡航をすればかならず綿密に記録し、旅行記を発表しています。では、どういうきっかけで海外へ行ったのでしょうか。では、そのモチベーションはどのようにして高まったのでしょうか。ただの傷心旅行や取材旅行と云うレベルのものではないことは明らかです。その答えは、与謝野晶子の影響でした。あとで詳しく述べますが、須磨子は晶子を深く敬愛し「君死にたまうことなかれ」と「与謝野晶子ー才華不滅ー」を発表しました。須磨子の晶子像がイメージ抜きの本当の姿だと信じます。わたしは後者の本をここに持参いたしました。いみじくも表紙の裏には署名のみならず 詩が書かれています。 

   千百年の 
    雪降り積む   
   祖先の土に 
    祖先の雪    
      降り積む    一九六八・冬        

 深尾須磨子 この詩の意図するところは、後で自ずと顕われますので、いまは触れないでおきましょう。 戦前の与謝野晶子も戦後の女性詩人のパワーは特筆すべきで詩がエナジーに満ちています。日本女詩人協会があったそうですが・・・それはとりもなおさず彼女たち自身の生き方を賭けていたからです。
 そして同世代の女性の憧れともなっていたのです。 大正モダンガールで彼女に憧れ、彼女の真似をし、自由恋愛に踏み切った例も数知れない。ちなみにわたしの母がそうであった。状況がまったく変わり、女性が力を持つ現在において須磨子はどのように捉えたらいいのでしょうか。詩の魅力は変わらないはずだと信じているのですが。海外において活躍する国際詩人の先駆けといえます。静謐を守り、詩の深部に降りた馬淵美意子とは両極端といっていいほどの距離があります。それだけにわたしは両方に惹かれます。 
 きょうは一時間ということですので、余り多くは語れませんが、おおまかに生涯を辿り、時間が余れば詩を鑑賞していきたいと思います。  

やんちゃな女 

 深尾須磨子は兵庫県に生まれるも家庭の事情で京都に青春時代を過ごしました。
 女子師範学校に入学を許されるも、文学や自由思想に熱中し生徒の感化をおそれるばかり退学を余儀なくされ、女学校に移ったのです。 そうして第三高等学校の学生であった深尾賢之丞と出会います。お互いは文学の理解者でもあり、京都帝国大学の機械科に上がったときに結婚をする。順調な結婚生活でありました。(余談ですが、わたしの文部事務官での仕事は同大学の機械科だったのです。同じ校舎、同じ教室で須磨子の夫は研究していたのでした。そのとき知らなかったのが残念です) 賢之丞(ひろのすけ)は国鉄の前身、鉄道技術省の技師として仕事を得、岐阜に赴いていたとき同地で肺炎を起こし逝去しました。晴天の霹靂といいますが、晴れた空が落ちてくる悲劇のカタストロフィと喪失感を二十歳そこそこで経験をするのです。
 
 このときはまだ詩人深尾須磨子というアイデンティティは彼女自身意識をしていなかったのです。 

 夫君は詩を書いていました。どんな詩でしょうか。遺
作の詩集「天の鍵」を出版することを決意し、与謝野晶子を訪ねていくことになるのですが、晶子は彼女の詩才を見抜き、「ご自分の作品もお入れなさいね」と優しく云ったそうです。早くも晶子は須磨子のただならぬ力を見抜いていたのです。それは筆力ということではありません。情愛の深さ、繊細さ、そして文章へ昇華するときの軽やかさや美しさを認めていたのです。そして、そのひと言で須磨子は晶子が歩き極めようとしている詩道を進むことを決めたのです。  夫の死により、晶子と接し、自分も詩道に入った須磨子は、初めから詩人になろうと志した訳でもなく、一問の門弟と切磋琢磨せずに一躍晶子の推奨を得たのですから、不幸により幸福を得たと彼女が回想するとおりです。そして、そのため、やんちゃな女というイメージがつきまとい、自分も歌会や詩会で云いたいことをためらいもなく云っていたそうです。それは彼女のおおらかな性格として、また晶子の気に入ったのでした。 ここで珍しい詩をご紹介しておきましょう。須磨子が鏡に映るように活写されている夫君の詩です。  

  詩集「天の鍵」より     深尾贇之丞
 
 [或る「アダジオ」] 

 愚鈍な土さへが
 五月の陽にめざめる。
 ふりそそぐ銀いろの光に
 ぬれそぼつあを葉、わか葉。 

 かつぎを脱ぎすてた
 わかい女の袷から、
 柔かい、だが、もえるやうな
 肉の音楽があふれる。 

 貪婪な二つの目が
 ものみなを胸に捕らへ入れて、
 みだらな眸(め)をむけて見たけれど、
 さて、なんとせうぞ。 

 あのましろい手を、
 鳩のやうにふくれた胸を、
 若々しい丸味の肩から首を、
 紅いアネモネのやうな唇を・・・ 

 目は心の窓だ。
 胸は心の私室だ。
 鍵のない私室を
 なんとせうぞ。
 
 かくて過ぎ去った。
 ものみなが過ぎ去った。
 胸は今うつろだ、墓穴だ、
 生々(いきいき)した五月の陽がのぞくけれど。 

 いらいらした心が
 二つの窓をくもらせた。
 わか葉が耳を聳てた。ーー
(それは似つかぬアダジオ、)
 切れのこった一筋のG線を
 低くおもおもしく歩行(ゆ)む倦怠な、
 そして陰鬱な韻律(りずむ)に。  

 若さを彷彿とさせる、そのエネルギーをまっすぐに夫に向け、そして亡きあとは詩に向けた「やんちゃな女」でした。これはわたしの命名ではありません、須磨子自身が自分をそう呼んでいるのです。  

あまがける女  

 須磨子は悲しみに沈み、家人の勧めるままに再婚するような古いタイプの女性ではありませんでした。ここからが深尾須磨子の深尾須磨子たる一生です。そして常に与謝野晶子の導きがあったことは、著書に描かれているとおりです。初期の詩集には「真紅の溜息」「斑猫」「呪詛」「牝鶏の視野」などがありますが、ここでは「復讐」という詩を鑑賞したいと思います。§ これは「日本詩人」という大正十三年三月号に掲載されています。 この本にある添書きも、次の詩も、土の「積もり」を扱っています。土の層は腐葉土を積むことを繰り返し、新しい木を育てていく、これは彼女の時空観を示しています。人間も土になる、そうして新しい世代を育てていく、そのような観念があれば、何の怖いこともなく、力強く詩道に邁進することができます。                       

復讐          

深尾須磨子 

どこに捨てやうかと、
久しくもちあぐんだ魂のむくろを。
ここがよからうと、女は捨てた。
毛むくじゃらの男の胸に。

何千年をつもった腐葉土に、
しめりも、日あたりも、風のながれも、
すべては育つものに上上だつた。
根づよくもたげかけてゐた復讐が、
竹の芽のやうに頭をつき出した。
そしてずんずんと
空へ、空へ、のびていつた。 

もうがらがらはいや、
お人形を頂戴もうお人形もあきました
もつと何かあきぬものを頂戴。
手をもつて手に、目をもって目に、
あぁ、似ても似つかぬ愛の変化、
さて、甘い、つめたい尻目に、
女はしづかに凱歌をうたつた。


むらさきの女-源氏悲曲のこと-   
 深尾須磨子は与謝野晶子に私淑しました。夫の遺作詩集「天の鍵」を出すとき、跋文をお願いするために晶子宅へ伺ったとき深尾夫人に同情を禁じ得ず涙を流したと書いています。

 そして優しく話をし、自分の詩集も出すようにと励ましをうけます。  須磨子はこうしたきっかけより親交を結び、誰よりも深く晶子を尊敬し、慕ったのです。晶子訳源氏物語を賛辞し、みずからも「源氏秘曲」を書いたことはいかに紐帯の強かったことかを証明しているのではないでしょうか。  

 与謝野晶子をギリシャの詩人サフォーになぞらえ、紫式部になぞらえ時空を超えて称えたのですが、「与謝野晶子に捧げる源氏悲曲(十二章)は圧巻でしょう。     

序曲 

やがてかげる人の世のおきて
平安のすがたをここに
照りかえす花あかり 

みやびかに 
あでやかになまめかしく
にじむくれない むらさきの
におい みだれ
涙の川 あふれ
そこはかと もののけの影 

千とせを経て 
ゆかりのいろに
いまもなごむか
都の山 都の水 


子供のとき京都に暮らした須磨子は、晶子の歌で京都を詠ったものをとりわけ愛していました。この涙の川という言葉に全てが込められているのではないでしょうか。        

舞  
    
このひとときに思いをすまし    
源氏は舞う    
源氏は舞う    
光の精 源氏は舞う 
    
都の春をはべらせ    
都の秋をはべらせ    
源氏は舞う    
源氏は舞う  
   
高く 低く 鳴りかわす    
舞楽のしらべに    
袖ひるがえし 手をかえし    
世のものならぬ舞のたくみの    
青海波    
春鶯囀(しゅんおうでん)    
源氏は舞う    
源氏は舞う 
    
花のうたげ    
紅葉の賀    
春をかおらせ    
秋をいろどり    
源氏は舞う    
源氏は舞う   
  
太陽を引き立て    
月をねたませ    
美神を酔わせ    
魔神をなだめ    
源氏は舞う    
源氏は舞う 
    
父君みかどの感涙の目    
宮人達の感激の目    
弘徽殿女御の呪いの目    
目をあつめて源氏は舞う    
光の精 源氏は舞う 

物語に添って詩が展開されます。そして最終の章ですが、       

終曲  
   
野べににおうむらさき草の    
根に秘めた魅惑のいろに   
染めなされた平安の    
悲恋の絵巻  
   
ながめかえし 巻きかえし    
あやをたたえ かおりを聴く  
   
移ろう世の光と影    
ゆらぐ花の面影に    
空鳴る楽のしらべに    
いまも通うか    
おごりのあと 
涙のあと      

 深尾須磨子著「与謝野晶子」(人物往来社)より引用  

おわりに  

 われらは平成文学の時代を生きています。それが何を継承し、何を形作っているのかは未来から見えることでしかありませんが、ともかく文学史の流れのなかを下っています。 意識して書いている場合に限らず、ただ無意識に書いていても、それは目に見えないムーブメントのなかで作用したり、されたりしているものなのです。深尾須磨子の場合は、三つのキーワードで考えることができます。一つ目は「反戦」二つ目は「ジェンダー」、三つ目が「国際性」です。その類い稀なる情感と知性をもって激動の時代を生きて、かつ欧州、アジア、中東を精力的に駆け巡り文学作品に反映したことは、どの言葉から論じてみてよろしいかと思います。  

 また、昭和15年11月発行の「現代女流詩人集」(山雅房)では、生田花世、深尾須磨子、竹内てるよ、森三千代、坂本茂子、英美子、上田靜榮、長瀬清子、大野良子、江間章子、中村千尾、荘原照子、露木陽子、馬淵美意子、上村草子が収録されています。 わたしは、もっともアクティブな深尾須磨子と、もっとも内観的な馬淵美意子を好んで取り上げていますが、今後もこの「輝ける女性詩人シリーズ」をつづけていきたいとおもっています。

参考1(業績) 

須磨子は1888年11月18日生まれ(さそり座)で1974年3月31日86才で没。兵庫県生まれ、京都菊花高等女学校卒、京都高等師範学校にあがるも中退。与謝野晶子に師事し、京都帝国大学卒の工学技師深尾贇之丞と結婚するが、夫が死去し、その後文筆活動で活躍する。 1925年フランスに渡り、パリに滞在。その間コレットと知り合い、その作品を邦訳する。帰国後(1925年)詩集『斑猫』を上梓する。1930年には「牝鶏の視野」を上梓、再度フランスに渡って生物学を学ぶ。戦後は平和運動に活躍。  (以上は新潮日本人名事典より掲載)  

以下主な作品
§ 真紅の溜息 第一詩集 三徳社 1922
§ 斑猫 新潮社 1925 (現代詩人叢書)
§ 呪詛 詩集 朝日書房 1925§ 牝鶏の視野 改造社 1930
§ 葡萄の葉と科学 現代文化社 1934§ マダム・Xと快走艇 千倉書房 1934
§ イヴの笛 抒情調と物語 むらさき出版部 1936
§ 旅情記 実業之日本社 1940
§ 沈まぬ船 詩集 一条書房 1943
§ 永遠の郷愁 詩集 臼井書房 1946
§ 哀しき愛 抒情調と旅情小記 草原書房 1947 (詩と随筆叢書)
§ 君死にたまふことなかれ(与謝野晶子伝)改造社 1949
§ 深尾須磨子詩集 三一書房 1952 (日本国民詩集)
§ 詩は魔術である 詩集 1957 (三一新書)
§ パリ横町 詩と文章 平凡社 1959§ むらさきの旅情 希望と絶望の接点を行く 弘文堂 1965§ 列島おんなのうた 紀伊国屋書店 1972
§ マダム・Xの春 深尾須磨子作品抄 小沢書店 1988.9
§ 文学者の日記 8 長谷川時雨・深尾須磨子 博文館新社 1999.11 (日本近代文学館資料叢書) 復刻§ イヴの笛 ゆまに書房 2000.11 (近代女性作家精選集)
§ 旅情記 ゆまに書房 2000.12 (女性のみた近代)
§ 葡萄の葉と科学 ゆまに書房 2005.3 (女性のみた近代)
§ 赤道祭・沈まぬ船 ゆまに書房 2005.6 (「帝国」戦争と文学)  翻訳§ 紫の恋 コレット 世界社 1928 「黄昏の薔薇」角川書店店1954 のち文庫
§ 犬猫の会話七つ コレツト 世界社 1930    「動物の対話」三笠新書
§ 母の手 レオン・フラピエ 平凡社 1934 
§ 沙漠の息子 ルネ・モブラン (富山房百科文庫  1939 のち角川文庫§ 神はフランスにゐるか フリードリッヒ・ジーブルグ                    高山書院 1941
§ 安南草話 阮進瀾 偕成社 1942 
§ スザンヌ物語 ジュール・ルメートル 偕成社 1946 
§ 銀の鐘 ルメートル カトリックダイジェスト 1952 伝記
§ 深尾須磨子ノート 武田隆子 木犀書房 1966
§ わが青春・深尾須摩子 高野芳子 無限、1976         
 「詩人深尾須磨子」文芸社 2001.7
§ 深尾須磨子の世界 武田隆子 宝文館出版 1986.5
§ 深尾須磨子のイタリア旅行 末永航  イタリア図書32 2005.4
§ 深尾須磨子 女の近代をうたう 逆井尚子  ドメス出版 2002.10   

詩の実作講座二〇一二・六・二三 講演草稿